30年後の感謝!
弊社の立地は目の前に森がそびえるどん詰まりにあるため、静かで広い道路は近隣の方のお散歩コースにもなっております。今年は梅雨が長かったせいか「今年はヤマユリが咲かないわね。昨年はとっくに咲いていたのに、どうしたのかしら?」と毎年ヤマユリを楽しみにしている近隣の方と心配しておりましたが、急に暑い日が続き、いつの間にかヤマユリが所々に咲き始めました!
これで、ようやく夏が来たのかな?と感じた今日この頃です。
ヤマユリと言えば、高校時代の生活指導の先生に学校の門の所で挨拶すると必ず声を掛けられ、「おはよう!ユリ!ユリコ!」と、その先生は必ず私の名前を間違えて呼びます。「ユリ!ユリコ!」と、しかたなしに「先生、私はユリでもユリコでもないですよ。マリコです。」とそのやり取りが何度も続きました。ある時、校門から先生と一緒に校舎まで歩く事があり、先生はいつもなんで私の名前をユリとかユリコって言うんですか?と質問してみました。
先生の答えは、「お前はヤマユリなんだよ。野に咲く一輪のヤマユリ。お前を見るたびヤマユリが浮かんでくる。何故、親御さんはユリと名付けなかったんだろうな?お前にはユリがあっている。だからお前はユリでいいんだ」と言い切られました。
いつも怖くて厳しい先生が、真面目に話してくれるので、変な説得力があり、なんとも複雑な気持ちでしたが、ヤマユリのイメージって!と高校生の私には大人の勝手な解釈が理解できませんでした。
時を経て、かれこれ30年が過ぎ、先日、あの頃鬼の様に厳しかったその生活指導の先生とお会いする機会があり、校長先生までなられてから、今は現役を退きお過ごしとの事でしたが、先生はあの頃の厳しい先生とは別人となられ「あの頃の事、覚えていますか?」と語りかけると「ああ~。あの頃はすまなかった。今は生徒に厳しすぎた自分を懺悔しているよ。」と、まさか、先生に謝られるとは、、、
30年の時が過ぎ、先生の中での変化には衝撃を受け驚かされました。
あの頃の先生が右と言えば右、左と言えば左!の様な、絶対的権力。でも、決して間違っていなかったり、思春期の私達を厳しくも愛情を持って指導してくださった情熱は、私達の心に響き、今となっても有難く貴重な経験でした。親の言う事には些か反抗的になっても、先生の言うことは聞かなくちゃと親よりも怖い存在の先生でもありましたが、、、
学校教育も30年の間に、目覚ましく変化していたのでしょうか?
それはさておき、ヤマユリに戻りますが、ちょうど奇麗に咲いたところをシャッターチャンスで撮っていたら、ヤマユリについて調べてみたくなり、調べていくうちにとても素敵な花言葉がありました。
あの時代にも今の様にパソコンでサクサク調べることが出来たら、先生への態度ももっと優しくなれたのかな?
私には勿体ない花言葉ばかりで、今更ながら大変恐縮しております。
花言葉は、
荘厳、威厳、甘美、純潔、無垢、人生の楽しみ、高貴な品性などでした。
今となっては私の勝手な解釈ですが、読書家の先生でしたので、世に羽ばたく生徒たちに先生ならではの望みを託されていたのかと前向きに解釈させて頂く事にしました。先生が思い描いてくださったヤマユリの花言葉に一つでも近づける大人になれる様、少しでも先生の期待に応えたいと、これから益々、自分磨きに力が入ります。(*´▽`*)
⁉待てよ!随分と自分を美化した解釈になってしまいましたが、もしかしたら、「ユリの王様」ともありましたので、高校生にしては物怖じしない私の態度のデカさが、先生にそう思わせていたのかも知れません。これが正解かな?反省m(__)m
先生のお陰様で、ヤマユリの素敵な花言葉を知ることが出来たので、感謝の気持ちを忘れず、そう言う大人で在りたいと思います❤
おまけ!ヤマユリですが、時間差で二輪近くの場所に咲いてくれました。私が見た中では最大、一つから八輪の大輪を咲かせているヤマユリも発見しました。あまりの迫力で、ピントがズレて奇麗に写せなくて、皆様にお見せ出来ないのが残念です。一輪づつ咲くものもあれば、二輪、三輪と年数や立地条件で咲いてくれるのも自然の恩恵ですね。
他にも近くに白い可憐な花や水道管の脇にはピンクの小花が咲いてくれました。除草作業員の方も小花に気づいてくださったのか小花以外の所に散布したくださったので、お花が枯れずに済みました。皆様の優しさがきれいな花を咲かせてくれているんですね?
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