謹賀新年

2022年12月27日

新年あけましておめでとうございます

昨年は一方ならぬご厚情を賜りまして厚く御礼申し上げます。

本年度も変わらぬお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。

一昨年、昨年と新型コロナの蔓延により、不自由な生活、閉塞感のある生活を強いられてきました。オミクロン株という変異株の台頭がありながらも今年は、少し平常を取り戻せそうかなという期待感も私たちの中に出てきたのではないでしょうか?飲み薬も承認されるようなので、徐々に いつもの生活に戻れることを願うばかりです。

弊社に、とってもこの2年は大変な年ではありましたが、皆様のおかげでなんとか持ち越しております。重ねて御礼申し上げます。

手前味噌の話になってしまいますが、昨年もお客様から

ワートスナジーさんの社員さんは元気よく挨拶してくれる

ワートスナジーさん仕事が丁寧だ

ワートスナジーさんに電話したら丁重に対応してくれた

等 お褒めのお言葉をいただきました。本当にありがたいことです。この言葉に恥じることの無いよう更にステップアップしてまいります

私事と申しますと昨年は還暦を迎え、厄年の洗礼を満遍なく受けてしまいました。骨折から始まり、還暦お祝い旅行もコロナ過で中止、締めくくりは病気での入院となってしまいました。生まれて初めての入院であり、全部が初体験、もちろん入院する患者側の大変さ、そして看護師さんの大変さ等、つくづく思い知りました。いろんな気づきもありましたが、その中で凄く思った事が2点。

 

①目線 見下げる 見上げる

今回の入院は、病院の玄関からストレチャーに運ばれての入院でした。ベットで寝たきりで入院したので4日間はベットから起き上がられず、担当の医師 看護師さんとお話しさせてもらうときは目線が違います。私は見上げてお話し、相手は見下げてお話しします(表現が不適切ですみません)。ここに大げさな話ではありますが上下関係が生まれてくるように感じました。もちろんこちらは患者、相手は医師ですので上下関係が出てくるのはしょうがないのですが。見下げる・見上げるという行動は知らず知らずにそういう感情を引き出すものではないでしょうか?

それがはっきり気が付いたのは、5日目点滴管が3本から1本に変わったとき、部屋内を起きて歩くことを許可されました。今まで寝ていて見上げていた看護師さんの手助けを借りて立ち上がった時、身長182センチの私は、看護師さんより背が高く必然的に見下げる立場となりました。最初に思ったのが看護師さん小さいなぁと感じ、今まで頼りがいのあるパワフルな看護師さんが、繊細で気の付く優しい看護師さんに見えたのです。

仕事でも、いろんな方向から捉えろ 見方を変えろとか言いますが これがそういう事かと今更ながら痛感いたしました。

また 別な意味で 身長が高い方の私は、知らず知らずに見下げていたのでがないだろうか?本人には見下げる気持ちは微塵もないのに、見上げた立場の人間に取ってはそういう意味にとりかねない。相手の気持ちのコンデションにより、なんとも思わなかったり、良くも悪くも取られてしまう事が有り得るのではないか?はたして自分は向き合う人と同じ目線で考えていたんだろうか?と反省をいたしました。

今年からは、園児と話す保育士ように頭を下げて同じ目線で、お話し考えていきたいと思います。(実るほど頭の下がる稲穂かな)

(誤解の無いよう付け加えさせていただきますが、入院先の医師、看護師さんは決して、人を見下げては居りませんよ)

 

➁答えはこれしかありません

健康が一番

皆さんもそう思いますよね 風邪をひいて喉が痛いだけでそう思います。入院なんかしたら尚更です。人間!健康で生きてるだけで丸儲けですよね!

こういうすごく大事な事は、すぐ忘れてしまいますが・・・

今年からは、体の健康 心の健康 を第一に考え、人の目線に立った考え行動をしてまいります

会社業務に関しましてもお客さま 社員を大切にし お客様の目線に沿った お客さんの目線に立った仕事をしていく所存です

2022年寅年の今年も全力で進んでまいる所存ですので、お引き立てのほどよろしくお願い申し上げます